3d Rendering Stock photos by Vecteezy事実は絶対で普遍
でもその捉え方は相対的
時間的にも
空間的にも
現象的にも
起こった事実は只一つだけど
捉え方は人の立ち位置によって異なる
正か否かで言えば
100年前には正
100年後には否
国にとっては正
地球にとっては否
人が感じる事ができる部分では正
人が感じる事ができない部分を含めると否
そんな事はよくある事
生まれた時代により
生まれた場所により
生まれた環境により
事実を受け止める心も違う
さらにはその事実に対する情報も
全ての面から伝える事は不可能だ
発信する人の捉え方で異なる
受信する人の捉え方で異なる
そんな情報が溢れているのに
得る情報を選べというけど
人は都合の良い情報だけを得ようとする
人は都合の悪い情報は得ようともしない
その正否はさらにぼやけて滲む
人は自分の感じる事のできた事実の欠片からしか正否の判断はできない
人は自分に都合にいい事を自分の感情だけでその正否を決めてしまう
そもそも人には現在起こっている事実を全て理解する能力なんてない
そう考えると人は人の一生はずっと孤独だ
自分の全てを理解してもらって並んで生きるなんて傲慢だ
自分は絶対に正しいと思っている人がひどく滑稽に見える
正しさなんて人の数だけあるのに
他人の正しさをどれだけ許容できるかが大切で
一方的な正しさの押し付けほど愚かな事はない
それを判った上で人は自分と自分の心の正否を自分で判断して
自分の正否を大切にして世界という現実の中で生きるしかない
他人の正否をあてにする事程
自分を苦しめる事はない
posted by たそがれオヤジ at 15:35
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